本当は他県で泊まりがけで行くんだろうけど、コロナ禍で今回はZoomを使っての講座だった。
ずっと前に一度だけ集中講座じゃなく短期講座だったと思う。当時18歳とかそこらだったかな〜 一泊して参加した覚えがある。
その頃、まだ若かったからね〜
初対面で何言って良いのかわからんし、恥ずかしいとは思うよね。
そんな感じだったな〜
一方今現在、大人になってから実際受けてみての感想。
若い頃のように、初対面で他人に対する恥ずかしさはもうないなと思った。初対面でも、なんとなく図々しく行ける感じ。オッサン化したのかなと思うところである。
会の模様は、守秘義務があるので、話すことはできないが、やはりピアというだけあるなと思った。お互い障がいがあって、近しい背景というだけに、なんも気を使うことはなく、気軽に発言・傾聴できる。
心の解放を目的としているだけあるなと思うことができた。
でもピアカンって障がい者だけなん?って誰かから言われたことがある。そうだ。自分の中では、健常者と障がい者と分けたくない自分がいる。(対等という言葉が妥当かな)であるならば、なんでも出来ちゃう。万能なんだというのが、障がい者の健常者に対する認識かと思う。(これも先入観かもだけど)
健常者にも視力が低下して眼鏡をかけなきゃいけない人もいるし、障がいとなるものはたくさん該当する。
ここでは眼鏡を例に出すが、自分はメガネをかけていないので、かけてる方の気持ちを考えることが想像だけでしか分からない。しかしメガネは今からでも体験することはできる。そして日常的な不便な気持ちを知ることができる。
障がいは一筋縄では行かないと思っている。なぜかというと当事者の気持ち次第だからである。
ある人は健常者に対して障がいのことをそこまで考えてくれてたのね。ありがとう。と感謝する者もいるだろう。(大半がこちらの方だと歩み寄れるが)
何わかったフリをしてるの?という障がい者もいるだろう。
健常者だってどうしていいか分からないのが当たり前だと思う。
お互いに話せる機会が増えてくると、そんなこと関係ない未来が作れるのかも知れない。
幼い頃より、みんながそういう環境で育ったら良いのにね。
友人のフーミンが言ってた。
障がいとか健常とか考えないことが大事!
一人の人間として接することが大事!って変換したけど合ってるかな。
障がいの受容によって、人それぞれの歩幅がある。
歩み方でも一気に行く人もいれば、ゆっくり行く人もいる。
他人に左右されず、流されず、やっぱりその辺も自分自身で選ぶことができるのが一番いいね。
ということで落ち着いたので、明日からもピアカン講座頑張ろ!