今進めているプロジェクトの大事な大事な重要人物のお二人がついに!
出逢った!!(仲介をさせていただきました!)そして核融合が始まろうとしている。
私にとっても最近すごくすご〜くお世話になっているお二人。

佐賀大学先生は以前も説明したと思うが私の学生時代(小6)の時の恩師である。ユニバーサルPoohデザインバス計画実行委員会が立ち上がる前の火付け役でもあられる。私が先輩の乗車拒否に遭う以前から火種はあったのだった。あれは私が20歳くらいの時にイベント打ち上げ?の飲み会から帰る時に、帰り道が一緒だった先生。私はバスで帰ろうといつも通り交通局に携帯で電話をする。バスに乗るのに予約すんの!?しかも携帯代って雄三持ちだよね?って驚かれたことを鮮明に覚えている。私は間違えていることも仕方がないに切り替えてごく自然なこととして行っていた。先生は翌日市に問い合わせて最終意見まで提言されている。そして活動を通して、佐賀市営バスさんは停留所に「N」のマークを付けて下さったのだった。今となってはそのNさえ要らない状況に変わっている。それは市営バスさんがほぼほぼ車椅子対応のバスになったからだ。そういうエピソードもあるし、私をバイタリティーある人に変えてくださったのも先生がいたからだと私は思っている。
そして、最近知り合ったばかりのいーはとーぶの代表さん。年齢も近くて話しやすくて、何より元気で、しかも誰よりも当事者の未来を想像して動いてらっしゃる方だと勝手に思っている。溢れる想いがあってこそ行動にしていけるのだと思う。
今日も話を伺ってる中で、気になったのは重度の方にとっても何かに使えるかもしれないと思って、ドローンを飛ばす資格や本体も購入された。。。けど発想が数歩先すぎて周りには理解されないということだった。
しかし私はその話を聞いた時、気持ちが痛いほどわかった。私の現実。幼い頃はなんとかの鳥籠のような。誰かが扉を開けてくれないと外には行けない。そんな時、私は空を飛んでいた。(ゲームでw)こんな風に空を自由に飛べたなら、行きたいところだって行けると感じていたんだと思う。ドリームキャストの「エアロダンシング」だったかな。そこでは離陸してコード何万フィートまで行っては、地面スレスレで墜落を回避したりとかしてた〜w 飽きもせず何時間もしてたことを覚えている。そう、じ〜っと何もしないで家にいるのが苦痛で堪らなかったのだろう。勉強しろよって親は思うのでしょうけど。当時の私は出来ないのだったらゲームで体験してやる!と運転できないからこそ「首都高バトル」とかもしてたし、サッカーや野球が出来ないからこそ、「ウイイレやパワプロ」もしていた。ゲームは邪険にされるが当事者にとっては唯一の擬似体験の場なのだ。良い風に正当化している気が・・・ でもそれは本当にそうだと思う。
この子にできることなら、何だって与えよう。それは母性なのか親の慈悲なのか。私はわからないが、障がいがあって出来ないなら、出来る方法を一緒に見つけていこう!なら出来るかもしれない。つまり、こういう人が1人でも多く繋がっていくことが、未来にとっても必要だと思う。
障がい者に出来ることは健常者には出来る。だからと言って健常者に負けんなって競わなくて良いんだって、競いたいなら競えばいい。ただあなたにはあなたにしか出来ないことがあるのだから。そこを伸ばせして行けば大丈夫。私はそう信じている。
だからこそ、レッツチャレンジ!なんだと思うんだ!
笑顔のまんま〜 笑顔のまんま〜 生きてるだけで丸儲け!
(なぜかこのフレーズが出てきた)
内容があっち行ったりこっち行ったり何を伝えようとしているのか、みなさん、わかってください!(T . T)きっと明日もいい日になる。いい日になるでしょ〜ぉ〜♪
何がともあれ、これからの展開が楽しみになってきた今日のムフフな話し合いでした。帰りに利用者さんかな。美味しそうなアイスをいただきました。綺麗な心の人しか見えないアイス! あなたは何色のアイスに見えますか?(コメント募集!)