今、オンラインサロンを立ち上げようとしてて、仲間作りをしている。人それぞれ、感じ方が違うのは当然であるが、それを理解した上で、進めていく難しさを痛感した。
どうして合わないことが起こるのか。信頼や信用を求めてしまうのか。私なりの見解をお話ししたい。必ずしもこれが合っているとは言い難い。しかし現時点の私の意見だ。
私のこれまでは、穏便にとか平和にとか一応周りを見ながら動いてきたつもりだ。色恋の問題で友達同士の喧嘩を仲裁したこともある。結果喧嘩別れでどうにもならなかったが、自分の思いを(正義感を自分の物差しで図り)伝えたつもりだ。
お互いにこれ常識的におかしいでしょ〜ってなっているから許せなくなる。自分の物差しで図っているからだ。私も先入観で発言してしまうこともあるが、言ってしまってから後悔することもある。それに人間なので、批判や否定をされたら苛立ちは起こる。これは自身でも気付いていることを他人から言われることで、気付けなかった恥ずかしさと自分に対しての不甲斐なさと、自尊心を傷付けられることで起こるものだと私は考える。つまり変なプライドがあるからだと私は思う。(それだけでは表現できないものもあるが)カッコいい自分でいたい。ちやほやされる人間でいたいとか、あっても良いけど、人間らしさって、「他人から必要とされること」じゃないかなと思ったりする。
これは余談だが、エヴァンゲリオンで、碇ゲンドウ氏(シンジの父)がシンジ(息子)に「必要だから呼んだだけだ。(エヴァに)乗らなければ帰れ!」というシーンがあった。
これも互いに思っていることをさらけ出してしまえば、共通理解が生まれ、進むべき道ができたのではないかと思うのだった。
ネタバレになるけど、最後は父の因果が理解でき、進むべき道にそれぞれ向かうという閉め方だった。お互いに気付いたからそうなったのだと私は解釈した。
私の中では、もっとコミュニケーション(対話)をすればよかったと後で気付くことになる。介助者に言われたことがある。北古賀さんって自分でなんでも解決しようとしますよね。周りに相談してみたら、もっと良くなるかもしれないですよ。と。
そうなのだ。なんでも自分で選択して決めてきたからこそ、決めてきたことしか視野がないのだ。周りの意見などを聞くことで、こんな可能性もあったなと発見することができる。それを選ぶかどうかは別として、選択肢は広がるのだ。それが良い場面とそうでない場面がある。結局、私がどうしたかったのか。相手にどうして欲しかったのか。シンプルに伝えたら答えは案外簡単なのかなと思ったりしている。最近そういう出来事が起こったのだった。
自立生活もまさにそれで、自分1人で生活している訳ではない。周りにいる人々に支えてもらいながら、自分らしい生活をしている。自分の動き方一つで、周りに影響を与えることもある。だからこそ、「北古賀雄三」という人間性を高めていくことが大事なのではないかと思った今日この頃でした。